マチネの終わりに
かつて映画館で観て良かった映画だったから、原作でも読んでみたくなって、読みました。
※ネタバレあり
あらすじ
天才ギタリストの蒔野(38)と通信社記者の洋子(40)。
深く愛し合いながら一緒になることが許されない二人が、再び巡り逢う日はやってくるのか――。
出会った瞬間から強く惹かれ合った蒔野と洋子。しかし、洋子には婚約者がいた。
スランプに陥りもがく蒔野。人知れず体の不調に苦しむ洋子。
やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまうが……。
愛とは運命なのか、それとも、私たちの意志なのか?
芥川賞作家が贈る、至高の恋愛小説。
運命
運命ってあるんだろうな、と思わされたお話だった。
2人は数々のすれ違いに襲われる。
洋子は最初から婚約者がいるし、イラクの爆撃で受けた心の傷、そして、三谷によって引き裂かれる二人・・。
本当に些細な環境の変化やきっかけですれ違いって起きるんだろうな。
それでもやはり出会ってしまう。
裂けられない運命なんだろうか。
昔失恋した時に、母から、もし運命だったらきっとまたどこかで再会するよと言われたっけ。
それであなたは幸せなの?
この本の魅力は洋子だと思う。
私は映画を観ていたので石田ゆりこさんのイメージが離れないのもあるけど、凛としていて芯があり教養深く、愛情深い彼女の魅力が詰まっている。
二人が引き裂かれた真相を知った時、三谷に放った言葉が「それであなたは幸せなの?」だった。
「あなたの幸せを大事にしなさい。」
洋子は最後に、ふしぎなほどに皮肉な響きのしない、親身とさえ感じられるような穏やかな口調でそう言うと、早苗を残してみせをあとにした。
普通だったら怒ったり泣いたりするかもしれない。
なのにこんな言葉が出てくるなんて・・
三谷がしたことは許しがたいことだけど、むしろ私は三谷に感情移入してしまった。
薪野は天才ギタリストであるし、洋子は国際ジャーナリストであり、二人はあまりに魅力的で、凡人からしたら入る余地がない。
だからこそ、あの日三谷はああするしかなかったのだろう。
薪野や洋子が浮世離れした存在だからこそ、三谷の存在やまた途中出てきたギタリストの武知の存在により、一層二人の存在が浮き彫りになる。
未来は常に過去を変えている
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
有名なこのセリフ。
わかるようでなんとも難しいセリフだ。
でもこのセリフのおかげで、PTSDで苦しんだ洋子は救われたのだろう。
過去の記憶は現在の解釈の仕方で、捉え方を変えられる、と私は解釈している。
洋子のイラクでの経験は特殊だけど、誰でも傷ついた過去はあると思う。
それでも過去の捉え方や今ここにいる愛すべき人の存在のおかげで、傷ついた過去は少し癒えるのではないか。
ラストは二人の再会シーンで終わり、それ以上は書かれていない。
すれ違ってしまった過去は、変えられるのだろうか。
映画『そしてバトンは渡された』感想
※ネタバレ無し
原作も好きな瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』を観てきたので感想の備忘録。
石原さとみさんが演じた梨花さんが原作そのまま、というかそれ以上に魅力的だった。
いつも笑顔で、こんなお母さんいたら理想的だな〜と。どんな時もおしゃれはいつも忘れない。
「笑っているとね、いろんなラッキーが転がり込んでくるの!」
その言葉の通り、普通の親なら叱りたくなる時も笑顔で諭す梨花さん。
私もいつかこんなチャーミングな母親になれたらな。
一方で、勝手に消えてしまう梨花さんはチャーミングだけど、親としてどうなんだろう?と思ってしまう部分もあった。
それが、本当は娘思いの行動であったことが後からわかる。
原作はさらっとほっこり書かれてるけど、映画は音楽も相まって、涙無しでは観れなかった。
「旅立ちの日に」が流れるシーンなんかもう、ボロボロ涙が止まらず。。。(あの曲はずるい)
家族っていいなあ、いつか私も母親になりたいなと思える、本当に素敵な物語だった。
そして、原作と違う部分が結構あるので(原作も映画もそれぞれよかった)原作を読んだことがあってもなくても楽しめます。
ゴッホ展 2021
今回のゴッホ展は、ヘレーネ・クーミュラーという女性の資産家の方が収集したコレクション。
ゴッホの絵画がまだ評価の途中にあった頃から収集し、生涯に渡りゴッホの美術館の設立に情熱を注いだのだそう。
ゴッホだけでなく、彼女の他のコレクションも展示されている。
私が印象的だったのはこれ。
《静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)》 アンリ・ファンタン=ラトゥール 1866年 クレラー=ミュラー美術館 ⒸKröller-Müller Museum,Otterlo,The Netherlands
黒い背景に果物の色とお花の組み合わせがとても素敵だった。
そしていよいよゴッホの作品へ。
とはいっても、いきなり油絵は出てこない。
27歳で絵を描きはじめたようで初期は、鉛筆や木炭で描かれた素描ばかり。
独特なゴッホの力強さはまだ感じられず、ただ暗い絵が多く哀しみが感じられた。
ゴッホは新印象派の影響を受けたようで、点描画法も試していた。
こっちはミレーの影響を受けて描かれた、種を蒔く人。
黄色の感じが、ひまわりの黄色を連想させる。
ゴッホは自然や素朴な農業従事者のポートレイトを好んで描いていたけど、自然に聖なる何かを感じていたんだと思う。
そしてやっぱり、圧巻の糸杉は観れてよかった。
ゴッホといえば、このダイナミックな描き方だけど、今回はそれまでの軌跡を辿れるような紆余曲折が観れてよかった!
『モロッコ、彼女たちの朝』
モロッコ、彼女たちの朝という映画を見た。
海外旅行に行けないから、せめて映画館の中だけでも海外気分を味わいたくて。
アラベスクの壁紙が美しかったり、知らないモロッコのパンが出てきたり。
アラビアンな音楽も異国情緒を感じた。
この話は女性の監督の経験をもとにしたそうで、
未婚の妊婦サミアとシングルマザーのアブラの2人の女性の物語。
あらすじ
臨月のお腹を抱えてカサブランカの路地をさまようサミア。イスラーム社会では未婚の母はタブー。美容師の仕事も住まいも失った。ある晩、路上で眠るサミアを家に招き入れたのは、小さなパン屋を営むアブラだった。アブラは夫の死後、幼い娘のワルダとの生活を守るために、心を閉ざして働き続けてきた。パン作りが得意でおしゃれ好きなサミアの登場は、孤独だった親子の生活に光をもたらす。商売は波に乗り、町中が祭りの興奮に包まれたある日、サミアに陣痛が始まった。生まれ来る子の幸せを願い、養子に出すと覚悟していた彼女だが……。
モロッコでは未婚での妊娠はふしだらだとされるようで、生まれる子の幸せを願い、サミアは養子を出すことを決めていた。
赤ちゃんが産まれても、初めは乳をあげることさえ躊躇ったが、赤ちゃんに愛着が湧いてしまうのを恐れていたのだと思う。
しかし、自然と母性が出てくるサミア。
私まで赤ちゃんが産まれた時は目頭が熱くなってしまった。
不思議だな。
自然と大人になって母性が出てくること、そして子を持ったときの女性の強さ。
アブラが一人で娘を育てる姿にも女性の内なる強さを感じる。
いつか、私もその時が来たらこんなに強くなるのだろうか。
そうだ、私が好きだったシーンはアブラがアイラインをひくシーン。
女手一つで娘を育てなければと覚悟を決めていたアブラはお化粧することさえ忘れていた。
でも、サミアと出会い女性らしくおしゃれすることの楽しさを思い出す。
どこの世界でも女性にとっておしゃれって活力になるなと思った。
「愛のようだ」と免許の取得。
あらすじ
40歳にして免許を取得した戸倉は、友人須崎、その恋人琴美の3人で、
伊勢神宮へドライブに出かけた。本当の願掛けにいくのだ。車中で交わすとりとめのないおしゃべり、流れる景色、
ひととき同じ目的地があるということ...
26歳、社会人。
この年になって今更、合宿免許に通っている。
周りは学生だらけ。
そんな私に弟がプレゼントしてくれたのがこの本だった。
プロローグは、主人公が仮免試験を受けているところから始まる。
坂道発進とかS字とか、教習所に通ったことのある人にしかわからない言葉が散りばめられてる。
あ〜早く免許とりたい。。
本作の帯には、泣ける恋愛小説と書いてあるけど、私は正直特に、というか全く泣けはしなかった。
というか、むしろ下手に泣かせようとしていないところがこの本のいいところだと思う。
主人公の恋愛感情の変化も、それを取り巻く環境も激変はしない。
むしろ淡々と彼と車の中に起こる出来事を綴っている。
色々な登場人物が出てきて、それぞれに何かが起きて。
でも案外みんな淡々としていて。
停車して発進する、また停車して発進する、車とはそういうものだ。停車して、こうして再び発進するそのつど、これまでの自分たちのやりとりがすべて過去のものだという実感が強まる。例えばもう、永峰は照れくさそうではないし、お騒がせの神山の姿はないし、呪いのような不条理なクラクションにも脅かされてもいない。
(中略)
だってもう、あのときとは景色が違う。あのときとも、あのときとも。車に乗っている限り。
すべては、うつりゆく。
良くも悪くも変わっていく。
車を走らせるのは人生みたいだ。
ということで、私の合宿免許生活もあと5日。
免許取れたらどこへ行こう?
5月の花嫁学校を観て
5月の花嫁学校という映画を観てきました🌸
🇫🇷あらすじ
舞台は五月革命の革命前夜、1967年のフランスのアルザス地方にある、花嫁学校。良妻賢母を育てるために奔走する校長だったが、夫の死やかつての恋人の登場、そして自由な生徒たちとの出会いをきっかけに、次第に考えが変わり...
生徒たちのカラフルな衣装や壁紙の模様、アルザスの綺麗な景色、まだ幼さが残る可愛らしい生徒たち、そしてなんといってもユーモアたっぷりな生徒と先生のやりとり。
自由に生きよう!と思える気持ちが明るくなる映画🇫🇷
主人公のワンピース姿も素敵だけれど、後半、パンツを着こなす姿はかっこよかった。
ラストのミュージカル風?のシーンもお気に入り♡
ぜひ女性の皆さまに観てほしいな。
この頃のフランスでは妻は運転してはいけないし、銀行の口座も作れない。
決められた人と結婚し、無駄づかいはせず、家事に励み、家庭を支える。
今でこそ時代遅れだけれど、この頃はこれが普通だったんだなあ。
フランス人の女性は、自由なイメージだったけど、今のスタイルは様々な女性たちの努力で確立されたんだ。
実際、五月革命をきっかけに次々に花嫁学校がなくなったそう、、!
ところで、五月革命ってなんだっけ、、
世界史でやった気がするけど忘れてしまった、、
パリの大学生が政府の教育政策に不満を爆発させて暴動を起こしたのをきっかけに起こったド=ゴール体制に対する、広範な労働者・市民の反対運動。
だとか。
同時期にアメリカでも女性解放運動が行われていたようで、世界的な機運もあったのだろう。
映画の中で印象的だったのがピルについて。
母になるか売春婦になるか選ばなきゃいけないの?みたいなセリフがあったのだけど、それくらい性に対して厳しい世の中だった。
調べてみると五月革命の後に中絶も合法になったのだとか。
日本で低用量ピルが認可されたのは意外に遅く、なんと1999年。
開発からなんと44年も経ったようで、、
最近も緊急避妊薬の話題があったし、まだ発展途上なのだなとも思う。
女性に限らずだけど、もっともっと自由に生きられる時代になりますように。
とはいえ、当時と比べると自由な時代に生きているのだから、一度きりの人生もっとのびのび生きたいなと思えた映画でした!
「もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。」
暮しの手帖の編集長だった松浦弥太郎さんが25歳にしておくべきこと、したいことが書いてある本。
松浦弥太郎さんについてはあまり詳しく知らなかったのだが、今25歳なので、手に取ってみた。
高校を中退し、単身渡米したという来歴からもどんなアイデアが書いてあるんだろう?と思ったけど、書いてあるのは意外と基本的なこと。
例えば、身なりで人を判断しないとかお礼上手になるとか、風邪をひかないとか。
なんだか拍子抜けするのだが、我に帰ると、出来ていない。
社会人になって4年目、仕事を作業のように流していたのかもしれない。
基本に帰る大切さに気付かされた。
面白かったのが「ラクしてもうけない」という項目で、そこに「タダより高いものはない」というエピソードがあるのだが、
僕は街で配られているティッシュも、もらいません。タダのものには近寄らないし、さわらないと徹底しているのです。タダでなにかをもらうことで、お金でなくても名前など個人情報を詐取されることがあります。あるいは見たくもない広告を見せられます。実はティッシュをもらうことでも、危ない話に乗る第一歩なと心得ましょう。
と書いてあった。
徹底ぶりがすごい。
桑田佳祐が何かの歌詞で「上手い話にはカラクリいっぱい」と言ってたなあ。
気をつけようっと。