東京サリーのベターライフ。

ベスト、じゃなくてベターでいい。

『あなたは、誰かの大切な人』原田マハさん

 

原田マハさんの短編「あなたは、誰かの大切な人」を読んだ。

家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにする―。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。

独立記念日を読んで、他のマハさんの短編も読みたくなったのだ。

今回は短編を3つ紹介させて欲しい。

どれも人生において大切なことを教えてくれた。

 

最後の伝言 Save the Last Dance for Me

色男である以外に取り柄のない旦那を持ち亡くなっていった母。

銀座でぶらぶらしたり、外にこどもをつくったり。

母の病室には姿を現さなかったし、ついには葬式の日にも父は姿を現さない。

そんな父に腹を立てる主人公だったが、、、

ここからは少しネタバレになるので読みたくない方は飛ばして欲しい。

斎場内に越路吹雪の「ラストダンスは私に」が流れるのだ。生前の母の計らいで。

生前、母は旦那と二人で越路吹雪のリサイタルを見て感動を覚えていた。

あなたの好きな人と踊ったらしていいわ

やさしい微笑みもその方におあげなさい

けれども私がここにいることだけ

どうぞ忘れないで

(中略)

きっと私のため残しておいてね

最後の踊りだけは

胸に抱かれて踊る ラストダンス

忘れないで

実はこの歌、『嫌われる勇気』の著者が恋愛について書いた本『愛とためらいの哲学』で知った。

愛は自由を求める  

(中略)

自分の好きな人が、自分ではない好きな人といて幸せであれば、そのことを喜べるのが愛です。  

アドラーは「自分自身よりも愛するパートナーの幸福に、より関心があること」が大切だといっています(Adler Speaks)。

「ラストダンスは私に」という歌があります。あなた、好きな人と踊ってらっしゃい、でもラストダンスは私にとっておいてほしいという歌です。自信がない人は、相手が自分から逃げないように相手をぎ止めようとしますが、相手を縛りつけようとすることが、かえって相手を自分から遠ざけることを知っていなければなりません。

愛とは自分自身の幸福ではなく、相手の幸福を願うということだと。

色々複雑な思いはあれど、母は愛の本質を知っていたんだな。

 

月夜のアボカド A Gift from Ester's Kitchen

三十九歳独身のマナミ。

恋人はいるけど安定した仕事にはついてなく、結婚も考えられない。

いわゆる草食系男子で、野心もない。

でも、マナミの部屋に来る週末には、ランチを用意してくれる。

マナミは仕事の関係でロサンゼルスに行っていて、エスターというメキシコ人七十九歳の女性に会う。

そこでエスターのメキシカン家庭料理に出会うのだが、六十歳で再婚した彼女のドラマチックかつ壮絶だが温かい物語を聞かされる。

その時のエスターのセリフがこれだ。

ねえ、マナミ。人生って、悪いもんじゃないわよ。

神様は、ちゃんと、ひとりにひとりずつ、幸福を割り当ててくださっている。

誰かにとっては、それはお金かもしれない。別の誰かにとっては、仕事で成功することかもしれない。

でもね、いちばんの幸福は、家族でも、恋人でも、友だちでも、自分が好きな人と一緒に過ごす、ってことじゃないかしら。

大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにする。

笑ってしまうほど単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが、ほんとうは何にも勝る幸福なんだって思わない?

その言葉こそが、エスターからのプレゼントなのだろう。

そのあと、マナミは関係は相変わらずだけど、そろそろ付かず離れずの離れずに軸足を置きたいなと感じ始めていたと言っている。

色々なことが目まぐるしく起きる日常で、大切なことを思い出させてくれた物語だった。

 

皿の上の孤独  Barragan's Solitude

独立記念日に比べて、異国の話がいくつか出てくる。

メキシコやトルコ、なんだか旅行して見知らぬ誰かの人生を覗いているようなそんな不思議な気分になる。

例えば、短編『緑陰のマナ』の出だしはこうだ。

夜明けまえに始まる、アザーンの声。周辺にあるいくつかの礼拝堂、その尖塔に取り付けられたスピーカーから流れてくるイスラムの「礼拝への呼びかけ」、哀愁あふれるメロディに、ふいに眠りから覚めるのだが、その直後に聞こえてくるのが山鳩の声だった。

これが二度目のイスタンブールである。

また、『皿の上の孤独』では、メキシコ。

真昼のストリートは、しらじらと明るい陽の光にさらされ、静まり返っていた。

日曜日の午前十一時、通りには人っ子一人いない。一匹の黒猫が、のんびりと道路を横断していく。どこからか、トルティーヤを焼く香ばしいにおいが漂っている。

赤紫色の鮮やかな葉をたくさんつけているブーゲンビリアの木陰で、私たちの乗った車が止まった。

あ〜旅行したくなっちゃうよなあ。

海外行きたくなっちゃうよなあ。

いつ行けるんだろうか。。

人生は、いつまで続くかわからないものだからね。行けるときに行っておくのはー行くべきときに行くのは、大事なことよね。

行くべきとき。それがあなたにとって「いま」ならばーいま、行くべきよ。

『皿の上の孤独』で、主人公がメキシコのバラガン邸に行くことを決めた時のセリフ。

本当にそうだと思った。

コロナの前、NYのタイムズスクエアで2020年の年越しをした。

急に決まって行ったのだけど、あの時行ってよかったと心から思う。

場所だけじゃない、人もだ。

祖母が亡くなる前もっと会いに行けばと思ったこともあった。

行きたい時に行きたい場所へ、会いたい時に会いたい人に会うべきなんだよな。

 

そうだ、異国の話とはずれるけど、バラガン邸のお皿には孤独という意味の「Soledad」という文字が描かれたお皿が出てくる。

このシーンも好き。

しんとして、味わい深く、さびしく、うつくしい言葉だった。私は、その一言を、目で食べ、味わい、飲み込んで、自分のものにした。

こんなに優しい孤独の表現があるだろうか。

この本には数々の女性が出てきて、どの女性も独身だ。

でも様々な人間関係の中で生きていて、その生き様は味わい深い。

この短編は一番最後に出てくるのだが、すべての短編に通ずるところがあるなと思った。