東京サリーのベターライフ。

ベスト、じゃなくてベターでいい。

「そしてバトンは渡された」を読んで

 

何人かの友達に勧められ、今本屋でよく平積みされている瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」を読んだ。

陸上部の話でしょ?青春ものは興味ないんだよねって方がいたら、ちょっとこのあらすじを読んでほしい。

森宮優子、十七歳。継父継母が変われば名字も変わる。だけどいつでも両親を愛し、愛されていた。この著者にしか描けない優しい物語。 「私には父親が三人、母親が二人いる。 家族の形態は、十七年間で七回も変わった。 でも、全然不幸ではないのだ。」 身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作

家族の形態が、17年間で7回も変わる。

なのに、これは全く不幸な話ではない。

むしろ、読み終わった後、心が温かくなる物語。

この形態になるまでの経緯を読み解いていくのがこの本の一つの醍醐味だけれども、ここでは3人の登場人物にスポットライトを当てたい。

 

優子の強さ

「困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない」

これは家庭環境を心配されてか、担任の先生に声をかけられた時の優子の言葉。

高校の友達とのいさかいから無視された時も、重く受け止めず、淡々としている優子。

この優子のドライとも取れる性格は、次いつ今の家族と離れるかわからない、深入りはできないと達観しているところから来ているのかもしれない。

そして、少しも不幸ではないとは言いつつ、それでも幼い頃に実の父親がいないことに悲しみを覚えるシーンがあったり、苦労をしていたことには変わりない。

宇垣美里アナが「人には人の地獄がある」と言っていたけど、一見淡々と人生を生きているようでもわざわざ言わないだけで、人には人の地獄、とまではいかないまでも、悲しみはある。

それでも、「可哀想な話」で終わらないのは、優子の周りの人の温かさを感じるからだろうか。

 

魅力的な梨花さん

2番目の母である梨花さん。

ネタバレになるので深くは書かないが、優子の親が転々とするとは梨花さんにもかなり原因がある。

でも、なんだか梨花さんは憎めない。

自由奔放だけれども、優子のことを必死に考えてくれている。

優子が弾きたかったピアノを半ば強引な方法で用意してくれたり、方法は普通ではないが、優子を一番に考えてくれているのが伝わる。

あ、あと、上白石萌音さんの解説にも書いてあるこのエピソードが好き。

梨花さんが幼い優子に、ニコニコしていたらラッキーなことが訪れるよ、と教えたあとで、こう付け加えるのだ。

「楽しいときは思いっきり、しんどいときもそれなりに笑っておかなきゃ」

チャーミングな梨花さんの言葉、私も胸に刻もうっと。

 

森宮さんとごはん

最後のお父さんである、森宮さん。

お父さんらしくいようとして色々世話を焼こうとするが、その方向性が斜め上で笑っちゃう。

とっても可愛い人。

本書の最初はこんなページから始まる。

何を作ろうか。気持ちのいいからりとした秋の朝。早くから意気込んで台所へ向かったものの、献立が浮かばない。

人生の一大事が控えているんだから、ここはかつ丼かな。いや勝負をするわけでもないのにおかしいか。じゃあ、案外体力がいるだろうから、スタミナをつけるために餃子。

これだけ読むとなんのことかわからない。

でも最後まで読んでこの最初のページの意味を考えてほしい。

普通の親だったら娘の大事な日の朝食にこんなに悩む親なんていないだろう。

それより他にもっと考えることがあるから。

でも森宮さんは森宮さんなりの親の役を楽しんでいる。

そんな森宮さんが可愛くて、優子がうらやましい。

 

この本を閉じた時、もうこの登場人物たちには会えないのかと思うと寂しくなった。

登場人物がそれぞれに愛しくて、心の温まる物語です。